信長は合理主義者といわれる。
しかし、私は合理主義が先にあったからあれだけのことができのではないと考える。
まず最初に、目的(経営理念)があったためそれを実現するためにどうすべきかを考えた。
その目的を実現するための行動が合理的だったのだと考える。
つまり、合理主義者だったのは、結果として目的のために必要なことをしたからそう見えるのだ。
例として、信長は人材採用に身分の分け隔てをなくしたと言われる。具体的には滝川一益や豊臣秀吉があげられよう。
しかし、これも実際は人材不足がまず最初にあったと考える。尾張の小大名から美濃、近江、伊勢と拡大するにつれ人材不足に悩まされたのは想像に難くない。
現在でも成長が早い企業に往々にして起きる事態である。しかし、天下布武という目的のためには不足している人材をどうしても補う必要がある。
それゆえ、身分や経験に関係なく人材を広く採用したのだ。
信長はもともと合理的な考えを持っていたのではなく、明確な目的を持っていたからあれだけのことができたのだ。
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